2024年12月20日
創部100周年記念トークショー
こんにちは♪ 連続投稿です^.^
11月23日(土・祝)に県立日高高校へ。
1924年(大正13年)に創部された
日高高校硬式野球部の
創部100周年記念事業に出席するためです。
記念式典の総合司会は
地元御坊市出身、同校卒業生で
モデル、タレント等で活躍中の坂尻夏海さんでした。
1956年(昭和31年)の選抜高校野球大会に
同校が初出場した際、応援団長を務めた
卒業生で元衆議院議員の二階俊博さんが来賓として出席。
当時の懐かしい話を交えながら祝辞を述べました。
私は
創部100周年記念特別トークショーの司会を担当。
出演者は同校野球部OBの5人の方々。
向かって左から
入江 喜一(いりえ きいち)さん、
山村 武(やまむら たけし)さん、
谷村 和也(たにむら かずや)さん、
大久保 勝信(おおくぼ まさのぶ)さん、
鈴木 蓮清(すずき れんじょう)さんです。
皆さんに高校時代の思い出や、
現役生に向けたメッセージなどをお話しいただきました。
午後はグラウンドで
奈良県立郡山高校を迎えての
記念招待試合が実施されました。
郡山に3点を先制されますが、
日高が1点ずつ返して追いつき、勝ち越し。
4対3で競り勝ちました。
今秋の公式戦では
郡山が奈良県予選4位、日高も和歌山県予選4位と、
近畿大会出場まであと一歩でした。
伝統のユニフォームを着用した選手たちが
再び甲子園で躍動する姿が近い将来に見られることを
楽しみにしています。
ところで、
1992年度(平成4年度)OBの
谷村和也さん〈写真左〉、
1994年度(平成6年度)OBの
大久保勝信さん〈同右〉と
3ショットの写真を撮らせていただきました。
谷村さんは高校時代、主将そして左腕エースとして
「第64回選抜高校野球大会」に出場。
(その大会で優勝した)帝京と
1回戦で対戦し0対1で敗れたものの、
三澤興一投手(早稲田大学-巨人ほか)と投げ合い
散発3安打、11奪三振に抑える好投を見せました。
南部川村(現 みなべ町)出身の谷村さん。
トークショーでは
学校近くで下宿をして高校時代を過ごしたことや、
甲子園で6回表に2アウトから突如乱れ
4連続四球による1点に泣いたエピソードなどを
紹介していただきました。
立命館大学を経て
社会人野球のトヨタ自動車で7年間プレーされた後、
ヘッドコーチなどに就き、
その後は日本女子ソフトボールリーグ機構の
常務理事や事務局長なども歴任されています。
一方、大久保さんは立命館大学、
松下電器(現 パナソニック)を経て
オリックス・ブルーウェーブ、
オリックス・バファローズで10年間プレー。
新人王に輝くなどプロ野球ファンの記憶に残る右腕です。
現役引退後は
オリックスの球団職員として活躍されています。
実は・・大久保さん、
高校時代は智辯学園和歌山高校に分が悪く
上級生になってからは新人戦、秋季大会と敗れ、
高校3年の夏も初戦(2回戦)で対戦。
その年のセンバツで全国制覇した智辯和歌山に
8回までリードしていましたが、9回表に追いつかれ、
延長10回表に不運な形で勝ち越され、
3対4で惜敗しています。
〈写真↑は当時の朝日新聞の記事〉
同世代の私もその試合は紀三井寺公園野球場の
智辯和歌山側のスタンドに
(応援団は春で引退していましたが一般生徒として)
いたので、その試合は今でも覚えています。
雑談の中で大久保さんとその話になり、
私が「10回表、先頭の3番中本君が四球で出た後
4番井口君がセンター前ヒットでバウンドした瞬間、
芝で見たことのないくらい高く跳ねて
(センターが)捕れずに一塁から中本君が
一気にホームインしましたもんね」と話をふると、
大久保さんが
「あれはね・・その前にセンターが足を吊っていて
対応できずに逸らしたんですよ」と教えてくれました。
また、大久保さんが
「その試合、世界リゾート博の番組で
僕らの試合がテレ和歌さんで生中継されず、
夜の番組で流れただけやったんですよ」と笑顔。
社に戻って可能な範囲で調べてみると、確かに
試合のあった
1994年(平成6年)7月15日の第3試合の時間に
テレビ和歌山は高校野球中継を中断し、
『世界リゾート博』の開幕前日の開会式典に関する
特別番組を放送していたとのこと。
最大延長の時間を越えて
生中継が入りきらなかったケースは過去にありますが、
特別番組の都合で放送できなかったのは
この日だけだったようですので、
(大久保さんらへの)
なんとも言えない 申し訳ない気持ちもありますが
逆に、殆ど全ての試合を
開局から51年間お届けしている
弊社の凄さも感じました。 nacker